日本写真会の立役者で、地震対策を警告した人
43歳の短い生涯であったが、多彩な活動と貢献をした人でもある。
明治の東京名所、浅草十二階の設計者でもある。
そして、日本の写真にも大きく貢献をした。
明治10年頃に、日本で流行したコレラの対策に明治政府は
予防には上下水道の整備が急務と判断、
ロンドンの博覧会で名を上げた技師を招いた。
それがバートンだった。水道の整備に邁進した彼は、
結局、伝染病にかかり、日本で亡くなってしまう。
日本人女性を妻とし、一子が残された。
写真での功績は、アマチュアも含む団体ではあったが、
日本写真会という組織を作ったこと。
海外から写真を取り寄せ、日本で初めての写真展を開催したこと。
「写真術のABC」の著作も残している。
名言(日露戦争の従軍写真家・小倉倹司の批評)
とにかく、バルトンという人は写真界では偉い人。
1856−1899 |